【宙に舞う】
2004年1月18日午後4時(たぶん)15分。今シーズン(2003〜2004)から日本製紙クレインズアイスホッケー部監督、田中俊司氏が日光霧降アイスアリーナで宙に舞った。それは、クレインズ、そして前身の十條製紙の監督を務めた延べ7人(佐藤道博、東弘幸、蝦名孝之、矢口正光、篠原秀則、ドナルド・マッキャダム、澤崎潤一、以上敬称略)が30年挑戦し続けながらも、いずれも成しえなかった歴史的瞬間だった。
普段は熱狂的な日光アイスバックスファンのメガホンと歓声に包まれる霧降アイスアリーナが静まり返る中、およそ100名程度と思われるクレインズファンの歓声が大きくこだました。投げ込まれる色とりどりの紙テープ、飛び上がって喜びを爆発させ、ゴーリー二瓶次郎の元に全選手が「ノッカ」(選手が次々と折り重なり、正月の鏡餅のようになること)に走る。しかし、そこは初優勝の悲しさか(笑)、綺麗な「重ね餅」ができず崩れてしまったが、それはご愛嬌。通常の試合に勝った後では絶対に見られないようなスタッフ、選手の笑顔を見せてくれた。
胴上げ、報道向け写真撮影が終わった後、数少ないクレインズファンが固まっている西側のスタンドにスタッフ、選手達が集まってきてくれた。そして、みんなで一緒に「万歳」...。これ以上の感動は無い。
さらに、そのシーンを最後まで暖かく見守ってくれたバックスファンから沸き起こった「釧路クレイン!」コールにも、また感動させられた。目の前で他チームの優勝を見ることほど、辛いものはない。クレインズ(十條)もバックス(古河)も何度も経験させられた苦渋の瞬間でありながら...。全く頭が下がる思いだ。当然の如く沸き起こる「アイスバックス」コール。勝者と敗者の厳しい現実と、それを超越するアイスホッケーを愛する人達の共通意識が複雑に交錯するリンク。そんな中で、クレインズファンが投げ込んだ紙テープを一緒に片付けていたバックスファンが居たことを忘れてはならない。
私を含め、この日を10年以上待ち続けていたファンも少なくない。ようやく成し遂げた「優勝」を我々ファンも握手し、抱擁し、拳を突き上げ、喜びを爆発させた。
もちろん、見に行きたくても行けない北海道を含めた全国各地のクレインズファンも、大いに喜んだに違いない。と同時に、その瞬間をライヴで見られなかったことが残念でならないという、泣くに泣けない状況だったであろうと想像する(もっと言うと、この試合にスカイAが入っていなかったというのも悔しい)。
【波乱のスタート】
今季からスタートしたアジアリーグは将来的には、北米、ヨーロッパに次ぐアジア地域のアイスホッケー振興を目的として始まった新たな大会である。ただ、現実には、西武鉄道の廃部及びコクドとの吸収合併により、37年間続いてきた日本リーグの存続(というより、存在意義)が危ぶまれ、韓国、中国を巻き込んでチーム数を最低6チームにしてリーグ戦を維持したいという関係者の思惑があった(結局、今季も日本リーグは挙行されているが、4チームでは盛り上がらない。前後期制に分け、最後に前期−後期の覇者同士が優勝決定のプレーオフを行うものの、既に前期優勝を決めているコクドが後期も優勝すればプレーオフは行われず、コクドの完全優勝となる。それは、何としても避けねばならない)。結局、関係者の努力により、開催にこぎつけたが、韓国唯一の実業団チーム、ハルラウィニアのみの参戦で、5チームによるリーグ戦となった。2003年11月7日に日本リーグ前期が終了したが、その翌週にすぐアジアリーグが始まったのだ。
日本リーグ前期はコクドが圧倒的な強さで優勝しプレーオフ出場権を獲得した。一方、クレインズはコクドから二瓶次郎、二瓶太郎、中島谷友二朗、西武から樺山義一、元コクドでイギリスエリートリーグに在籍していた桑原ライアン春男の5選手を獲得し、優勝の最右翼と目されていたが、チャンピオンチームで優勝に貢献してきた実績が即座にクレインズのチーム力アップ、そして勝利へ反映された訳ではなかった。移籍選手加入で「俺達は普通にやれば勝てるのでは?」という目に見えない誤解が生え抜き選手にあったのではないか?。12試合と試合数は少ないが、ダーシ・ミタニと桑原ライアン春男、樺山義一以外で、10ポイントを超えた選手が出なかったのだから。そのために目先の勝ちをもぎ取るため試合毎にセットを変えざるを得なかったチーム状態。それでも、結果が出ずにますますもがき苦しむスタッフ、選手達。そして、なによりも大きな期待を寄せていた我々ファンを裏切る試合が続き、最後まで修正できないまま12試合があっと言う間に終わってしまった。結局、王子に4連敗、コクドにもPS勝ちの1勝しか上げられず。4勝8敗の3位という成績。極めつけは、最後の王子、コクドとの2連戦では綺麗に黒星を4つ並べ、しかも、コクドに地元釧路で目前前期優勝を決められる屈辱を味わった。
そのわずか1週間後にアジアリーグは始まってしまったのだ。最初の相手は敵地苫小牧で王子との2連戦。直前の4連敗を目の前で全部見てきた私にしてみれば、とても勝てるとは思えない。善戦できればいい方、とタカをくくっていた。しかし、クレインズは6−4、4−3と「まさか」の連勝スタートを切ったのだ。アジアリーグに関しては、個人的な都合もあり、新横浜で行われる対コクド2連戦と日光で行われる最終戦である対バックス2連戦の4試合しか見られないことは決まっていた(北海道遠征はできなかった)ため、この試合は北海道のクレインズファンから刻々と送られてくる速報によって結果をほぼリアルタイムで知ることができた訳だが、「なぜ勝てたのか」私には理由が見つからなかった。ただ、現地で試合をみていた人に言わせれば、「クレインズは(私が苫小牧、帯広、釧路で見た姿と)なんら変わってない」と言う。チームのアジアリーグに取り組む、或いはその先の後期、全日本を見据え、「もう一度気持ちを新たに」という意識の切り替えがうまく行ったのだろうか?。さらに1週間後、今度は地元釧路でバックスと2連戦。接戦に持ち込まれたが6−5、3−1となんとか連勝。しかし、中島谷がじん帯を痛め戦線離脱。ダーシ・ミタニも対王子2戦目から戦線離脱。なのに、なぜ勝っているのか?。翌週はソウルでハルラウィニアとの2連戦。6−2、7−4と失点が目立ったもののこれも連勝。6連勝で単独首位に立つ。果たしてクレインズは何が変わったのかのか?。それを確認すべく迎えた12月6、7日の対コクド2連戦。クレインズがソウルでハルラを破ったその裏で、バックスに完封負けを喫したコクド。負け数の差、わずか1でクレインズとの直接対決、事実上の首位攻防戦だ。その初戦、私の目に映ったクレインズは日本リーグ前期とやっぱり変わっていなかった。コクドの早い潰しに常に劣勢、パック支配もままならず、どこに勝機があるのかと思わせておきながら、数少ないチャンスをモノにし先制する。しかし、凡ミスで失点。そして逆転を許す。「やっぱりコクドにはかなわないのか?」と思わせながら、日本リーグで不調だった伊藤雅俊がアジアリーグに入り本来のゴールゲッターとしての刃をむき出し同点ゴールを奪う。更にパワープレーで石黒史郎が押し込み逆転。1点リードで迎えた3ピリには樺山のパスを原武がゴール前で綺麗に合わせ追加点を奪い4−2。終盤、失点し追い込まれるも4−3で競り勝ったのだ。これで土付かずの7連勝。お世辞にもナイスゲームとは言えないが「勝ち」は「勝ち」である。何かが変わったのだろう。押されていながらも、数少ないチャンスを確実に生かすことができたからか、それとも、ここで引き離されてはいけないところで追いつき、ここで決めておけば1点以上の価値のあるゴールを決められる力がついたのか?。これこそが、いままでのクレインズに出来なかった、「試合の流れ、ツボを抑えた」会心のゲーム、なんだろうか?。ただ、それが本物なのか私にはわからない。翌日、さすがにコクドは地力を見せ修正を図りクレインズを0−2で完封。全く試合をさせてもらえず完敗(コクドはこれができるから強いんだよな)。しかし、コクドにつけた星1つの差は縮まることなかった。1週置いた翌々週、地元で再び王子2連戦。初戦は3ピリ終盤まで完封する試合運びで3−1と完勝。王子に引導を渡すも、翌日は危うい試合ながら7−4で連勝。アジアリーグはコクドとのマッチレースの様相を呈した。その翌週、年内最終戦。地元で最後の首位攻防コクド2連戦を迎える。ここを1勝1敗で乗り切ればクレインズに優勝マジックが点灯する。2連勝なら、年明け初戦のハルラ2連戦で優勝が決まる。負けられない初戦の土曜日。2ピリ序盤まで常に先行を許し、2−3と苦しい展開となるも、2ピリ中盤に同点、終了間際に逆転。更に、勝負の3ピリに先に点を奪い2点差をつける。すぐさま失点するも、その40秒後に突き放す粘り強さを見せ、とどめはベテラン竹内の連続ゴールで勝負を決め8−4で先勝。マジック4を点灯させた。しかし翌日、またもコクドは修正。1−5と前日の4点差をきっちり返し対戦成績を2勝2敗の五分に戻されてしまった。しかも、2ピリに同点に追いついた直後に失点。2ピリ終盤にも失点し流れを掴むことなく3ピリへ。ここで失点を最小限に抑えておけば、最終的に優勝争いはもつれなかったのだが、今となっては後の祭り。更に2失点。コクドとの対戦得失点差を−1としてしまった。全日程終了時に同勝敗同勝ち点になった場合はコクドより上にいけない状況になったのだ。この得失点差1が年明け後に大きな影を残した。いずれにせよ、マジック4は変わらず、コクドが残り3試合を全勝しても、クレインズが残り4試合(ハルラ、バックス)に全勝すれば優勝できるのだ。
【迷走する優勝争い】
2004年になった。最初の試合は1月11、12日の地元釧路でのクレインズVSハルラ。ソウルでは連勝したものの、あの頃はハルラもアジアリーグの合間に韓国リーグを戦っており1週間で4試合というハードスケジュール。しかし、韓国リーグが一段落した年末に地元でバックスに連勝し、敵地苫小牧で王子を破って調子を上げていた。「全チームから勝ち星を挙げる」というハルラの目標を達成するために、ハルラはクレインズを圧倒した。1ピリに2点を先行し楽勝と思われたが、2ピリに1点差とし、3ピリに同点、逆転、突き放し、気がつくと2−4。一つも負けられないはずのクレインズはハルラに両腕を取られた。最後にエンプティネットまで決められまさかの逆転負け。悔やんでも悔やみきれない敗戦を喫したのだ。これで、この週、試合が無かったコクドにマジック3が点灯。平日長野での王子戦、敵地でのハルラ2連戦に全勝すればクレインズは届かない。「大事な試合になると勝てないクレインズ」。期待に夢膨らんだファンのテンションは一気に下がる。それに輪をかけたのが、翌日のハルラ戦、集中力を欠いたハルラだったとはいえ、13−3で大勝。それができるのなら、何故土曜日にやらない。尻に火がつかないと本気になれない...。やはりクレインズは優勝できる器じゃないのか?。
同じ週の水曜日、長野でコクド−王子戦が行われる。アイスホッケーの神様が居るならば、もう一度だけクレインズに笑顔を見せてくれるはず。という思いをコクドは完全に断ち切る7連続得点の圧勝(7−1)。優勝争いは1月17日、18日のハルラ−コクド2連戦(@ソウル)、バックス−クレインズ2連戦(@日光)まで持ち込まれる。この2連戦、クレインズはコクドと同じ星勘定だと優勝できない(双方とも○○で13勝3敗勝ち点26で並ぶ。しかし、コクドとの対戦成績が2勝2敗のタイ。過去4試合は4−3、0−2、8−4、1−5でコクドが得失点差1でクレインズを上回るため)。勿論、土曜日にコクドが勝って、クレインズが負ければその時点でコクドの優勝が決まってしまう。クレインズが優勝するためには、2連戦のどちらかで、ハルラがコクドに引き分け以上の試合をしてくれるのを「祈り」つつ、自分達はバックスに「連勝」するしかないのだ。
1月17日土曜日、ハルラ−コクドは13:00開始、バックス−クレインズは16:00開始。クレインズの試合が始まる前には、コクド戦の結果が判明する。コクドが優勝を更に手元に引き込むのか、それとも...。1月11日にクレインズが負けた時点で、私はクレインズの優勝は無いと諦めていた。だから、気楽な気分で日光に乗り込んだ。でも、「もう一度だけ、アイスホッケーの神様がクレインズに微笑んでくれるかも知れない」と半ば諦め半分で携帯から韓国アイスホッケー連盟の速報ページを見て驚いた。「1ピリ終了2−0でハルラリード」...。まさか...きっとコクドが追いつくよ...。15:00、霧降の開場時間になった。再度経過をチェックする。「3ピリ9分で3−1、ハルラリード」。よもや...。しかし、ほんの数分後、ページを2度更新すると、3−2となり、3−3となっていた。ここまで来ると気が気でなくなってきた。クレインズの試合があと3、40分後に始まろうというのに、海の向こうの結果が気になり集中できない。5分後「3−3でOT突入」。このまま引き分けなら、クレインズに自力優勝の芽が復活する。しかし、まだコクドには勝ち点2をゲットするチャンスも残っている。あそこはそういうことを平気でやれるチームだ。人のこと心配する前にクレインズを心配せねば。座席に荷物を置くと、往生際が悪いのか再度アクセス。するとどうあろう「HALLA4 KOKUDO3」。え、嘘だろ!、いや間違いない。OT終了28秒前にサヨナラゴールが決まっている(後で知ったことだが、コクドが勝ち点2をゲットするため、5人攻撃をかけたが失敗したことによるハルラの勝利だった)。この時点でクレインズにマジック1.5が点灯した。丁度、1週間前に失ったはずの自力優勝が転がり込んで来た(○○か、△○でも優勝)。この結果ににわかに活気付く数少ないクレインズ応援組。でも、肝心なのは、この「お膳立て」をクレインズがしっかりと「頂戴」しなければ話にならない。ハルラによって消された自力優勝が、1週間後ハルラによって帰ってきた。まさに「鶴への恩返し」か?。
そういえば、18年前...、第20回リーグの終盤、コクド(当時、国土計画)の自力優勝をクレインズ(当時、十條)がコクド戦に勝利しマジックを消滅させたことがある。しかし、勝負事に絶対は無い、と勝負を捨てず優勝を争っていたコクドは、優勝に一歩近づいた王子を直接対決で破り、王子の結果待ちとなった。その王子が西武に足元を救われ、コクドにマジックが復活、最終戦で西武に勝ちックドが優勝を決めた。
クレインズは今、まさにその立場に立ったのだ。ここで優勝せずに、いつ優勝するというのだ。
【チームのために何ができるか?】
そして、クレインズは優勝した。
土曜日はポイントゲッターの伊藤雅俊が1ピリに先制、1ピリ終盤に追いつかれるも、2ピリにまたも伊藤雅俊がゴール周辺での強さを発揮し勝ち越しゴールを上げると、バックスの反則によるPPをスペシャルユニットが確実にモノにし連続ゴールで突き放し、3ピリも山野の連続ゴールでダメを押し6−2で勝利。優勝がかかった日曜日はダーシ・ミタニのゴールで先制、しかし、2ピリ序盤にアンラッキーな失点で同点。このままの均衡状態が続くと足元を救われると思われた2分後に、ベテランの竹内元章が試合の流れを手繰り寄せる勝ち越しゴールを奪う。すると、運もクレインズに見方する。佐藤匡史がゴール前に流したパックがバックスゴーリーのポジションミスに助けられゴールが決まり3−1と2点差。しかし、さすがに3ピリは優勝を意識したのかクレインズは明らかに固くなっていた。立ち上がりから再三ピンチを迎え、2、3点取られてもおかしくない状況だったが、そこで二瓶次郎のスーパーセーブが飛び出し失点を許さない。逆に試合を決めたいクレインズは、石黒勇が放ったシュートがイレギュラーバウンドしラッキーパンチで試合をほぼ手中にした。
それから約15分。パックはリンクを何度か往復するも、双方ともに決定力と詰めの甘さでスコアは動かず。動くのは試合時間のみ。刻々と「その時」が近づく。静まり返った霧降アイスアリーナの中、集まった観客の1/10だけが落ち着きを失っていた。クレインズファンである。その殆どが「優勝」を知らない。手にした紙テープがはがれない。芯が抜けない(危険防止のため紙テープの芯は抜きましょう)。しかし、無常にも迎えた「秒読み」、そして...。
アジアリーグでクレインズは5チーム最高の80ゴールをマークした。その1/4は移籍組みの桑原ライアン春男、樺山義一、山野由宇の2つ目がマークし、しっかり結果を残した。それは当然のこととして、日本リーグ前期で存在感を見せられなかった一昨年、昨年と1つ目のFWラインを組んでいた、ダーシ・ミタニ、伊藤雅俊、竹内元章に本来のパフォーマンスが蘇った。また、3つ目の佐藤博史と佐藤匡史が効果的に点に絡む。更に、プレーに安定感の増した石黒史郎を4つ目のCFでフルに使えたことが大きかった。他のチームのどの4つ目と比べても、このセットは光っていた。そのウィングを勤めた飯塚は昨年まで試合出場が少なかったが、アジアリーグの中盤から終盤はポジションをキープし攻撃面で結果を出す。辻真治郎も執拗にパックを追い続け相手DFを困らせる仕事を見せる。1試合平均3失点でありながらも、それを上回る得点力を見せつけたのは、本来頑張らねばならない生え抜きの選手が結果を出したからに他ならない(石黒史郎、佐藤匡史、飯塚洋生、佐藤博史が16試合で10ポイント以上をマーク)。
自然と勝負どころでゴールを決められる。流れを掴む或いは変えるゴールを奪える。そんな「したたかさ」をチーム全体が自然と体得していったような気がした。優勝を決める2連戦だけで、そうだと決め付けることは危険かも知れない。しかし、勝ったことは事実である。日本リーグ前期にはできなかった、「移籍組みと生え抜きプレイヤーが持つ本来のパフォーマンスの融合」こそ、クレインズが一歩上のレベルのチームになるための必須条件だったはず。これでこそ移籍選手の加入が成功したと初めて言えるのだ。キャプテン小林弘明が「試合に出る選手も出れない選手も、チームのために何ができるか考えたから」と語った意図はここにあると言っても過言ではないだろう。その努力の結晶が形として残ったのではないか?。
「こんな失点の多い試合運びでは、この先、戦っていけない」とまで酷評した自分自身のコメントは果たして正解だったのか?。
それがはっきりするのは、後期リーグ、そして全日本選手権まで持ち越されていくことだろう。まだまだ、今のクレインズは「発展途上」。もっともっと強くなれるはず、そう信じたい。
「アジアリーグ優勝」はあくまで通過点に過ぎないのだから。
(たった4試合しか見てないのに、ここまで語っていいのだろうか???)
−了−